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「よく来てくれましたな。けふはゆつくりしてもかまはんのでせう。あんたは碁を打ちますか。――さうですか、御存知ないですか。それはちよつと。まア、しかし、こんなものは覚えん方がいゝかもしれませんなあ」
と、練吉が引つたくるやうにとつてしまつた。
「えゝ、まだですが――何か御用?」
一
と、房一の近くで云ふ声が聞えた。今泉らしかつた。つづいて同じ声が
「お松は「い」の字と言う酒屋に嫁よめに行ったです。」
相手はしばらく黙つていた。だが、場所が高いのと、柵の中にいるためか、落ちついて答へた。
と、声をかけたが、返事がなかつた。間を置いて、今度は高い声を出すと、しばらくたつて、横手の襖ふすまが殆ど音を立てない位にそつと開いて、半白の頭を円坊主にした、痩せて黄ばんだ皮膚の五十がらみの男が、きよろりと驚いた眼をして、口を半ば開けたまゝのぞくやうに現はれて来た。
「折角のところを、突然でまことに失礼でありますが」
「あれだね、君は見かけによらない――親思ひなんだね!」
と、房一は練吉の顔を見て思ひ出したらしく、
この町に一体火事なんて、いつあつたらう。たしか、三年前に一度、そして去年の春さきに小火ぼやが一度、それも藁火が離納屋に燃え移つただけのことで、それだのに殆ど町中がいや近在からも山を越して人が集り、提灯ちやうちんが集り、大変な騒ぎだつた。めつたにないどころではない、他のことは忘れても、この殆ど珍重すべき火事は、そのあつた年も、場所も火元の蒼白な顔も、ありありと覚えこんでしまはれるのだつた。