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房一が云ふと、喜作は突然びつくりするほど大きな口を開けて笑つた。
「玄関の手入れをどうしようかと云ふのですよ」
「どうも御苦労さま、暑いところを」
「やあ、しばらくで」
それは六月も末のかつと輝いた午ひる近い一つ時だつた。いや、正午はもう廻つているかもしれない。畑地には道路のすぐ傍にあまり大きくない柿の木がぽつんと一本だけ立つていた。その葉はまだ新芽の柔かさを保つていた。日にきらきらしている。さうやつてひとりでに自分を磨いているみたいだつた。誰も表の道路を通らなかつた。
ところが驚いたことにはこの男は、房一があらゆる初対面でやる鹿爪らしい挨拶の文句を今やはじめようとしたときに、いきなり前に立ちはだかるやうに、と云ふより、殆ど気づまりのするほど真正面に近々と顔をよせて、おまけに露骨に房一の顔を見入りながら、
と、案外冷静に云つた。
冬近い冴えた日ざしが午過ひるすぎの河原町の長い、だが人気のない通り一杯に溢れていた。一体みんな何をしているんだらう、まさか軒並みに夜逃げしたわけでもあるまいのに、と呟つぶやきたくなるほど人の子一人いなかつた。そして、冴えているがしだいに温ぬくもりの増して来る日は、何だかのうのうと、つまり誰もいないので日そのものが路一杯にひろがつて日向ひなたぼつこをしているみたいであつた。
「これからどちらへ?」
「坑には入つてみたんかね。あすこはもう何年も入つた人がないちふことだが」
正文はもう練吉に大した望みはつないでいなかつた。ただ一人前の医者にさへなつてくれたらそれでいゝと思つているらしかつた。それでも、目にあまるので何かと云ふと廃嫡といふ言葉を口にするのだつたが、効き目はなかつたやうである。そして、あんなに厳格だつた正文がこんなに度重る息子の不始末に、一々尻ぬぐひをしてやるのもふしぎであつた。
これがこの小さな字である。